04 │2025年1月19日

岡山バプテスト教会


週 句 それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。
聖書   ヨナ書4章11節

説 教 「キリスト道」  高橋周也牧師
聖書   マタイによる福音書5章43節~48節

「キリストの道、敵を愛すること」
 聖書は、多くの人たちが神を証しようとした労苦の結晶であり、人を神へと導く力があります。本日の聖書箇所マタイによる福音書5章45節は、私が初めて、神様と私という関係を感じて、教会へ通うきっかけとなった言葉です。イエス様の山上の説教の一部であり、神の愛が全ての人に等しく注がれている普遍的な愛を示しています。しかし、実はあまりにも45節に感動したために、「敵を愛する」という教えとして語られた言葉であることを意識したことは、恥ずかしながら、ほとんどありませんでした。
 難しく高度なメタノイア(通常、悔い改めと訳されるが、方向転換の意でもある)です。規則ではそうすることに限界があるでしょう。大切なのは、神が何をしてくださったのかという視点を持つことです。
 私は、人を大切にしたいと願いながらも、傷つけてしまうことがあります。例えばそれは、イエス様が愛している人に対して私が何をしたかという点においてみれば、私はイエス様の敵、迫害する者かもしれません。しかし、それでも神は私を愛してくださり、太陽と雨を与えてくださるのです。
 私たちが呼びかけられているメタノイアは、まさにこの神の愛に気づき、その愛に応えて生きることです。それは、挨拶を交わすこと、つまり平和(シャローム)を告げ知らせることから始まります。イエス様は、暴力と抑圧の世界に対し、新しい生き方を提示しました。敵を愛することは、人の縛りから神の命に向かって解放される道です。
 私たちは皆神の子どもであり、この世界は、どんなに悲しみや苦しみに満ちていても、神の世界です。私たちは自分で自分を完全な者にすることはできませんが、完全なる神様の愛、私たちにご自分を差し出しつくしたイエス様の祈りに参加することはできます。期待と希望をもって、祈り、共に、また新しく、歩みゆきましょう。