交 読 「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
聖書 使徒言行録18章9節
説 教 「焼きたてまぜこぜパンをあなたに」 高橋周也牧師
聖書 ルカによる福音書13章20~21節
「新しい年の歩みに向けて」
岡山バプテスト教会は、2025年(2024年にはここにテーマを掲げて「伝道する」ことについて考えたように)、今年1年かけて2番目の教会ビジョンである「居場所になる」ことについて取り組もうとすることでしょう。それは大きく言えば、神の国を本気で望み、真剣に実現しようとすることなのです。
「居場所になる」ことについて、善良なキリスト者の方々は「隣人」について、考えるのだろうと思います。聖書は、隣人とは誰なのかを明確にしています。「神を愛せよ、隣人を愛せよ」とは、しばしばキリスト教の格言のようにして語られますが、これは単に誰に対しても親切にしましょうというような一般的な標語とは違います。見知らぬ人やよそ者、あるいは普通なら敵と呼ぶような人々に実際に手を差し伸べなよという非常に具体的な任務であり、主イエスが私たちのためになしてくださったことです。まずは、後者を大切に考えてみましょう。「私は主イエス・キリストに受け入れられている」ということです。
2026年に考えることになるでしょうが、「地域とつながる」こと関わりがあります。教会が地域とつながるという時の教会とは、田町一丁目の人との関わりを意味しません。その「教会」(岡山バプテスト教会)とは、教会員一人ひとりのことです。岡山バプテスト教会は皆さん一人ひとりにおいて、皆さんがお住まいの地域・人々とつながっているのです。そこを見落としてはなりません。つまり、居場所になることは、他者に対して自分を開放することでもあります。主への応答が動機でないならば、苦行であり、どこかで行き詰ります。
ところで、私は今日の聖書の箇所を基にした説教をきいたことがありません(読まれることはそれなりにありますが、語られるのはからし種のことばかりです)。しかしここには、これまで書いてきたことに対する大切なヒントが隠されています。