週 句 神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。
聖書 出エジプト記3章12節a
説 教 「無関係への挑戦状」高橋周也牧師
聖書 マタイ1章22~25節
「『その人』をイエスと名付けよう」
神は、天地創造以来、人間と関係を持ち、決してご自身と切り離そうとはされませんでした。その愛はついに、神ご自身がその力と栄光さえ放棄して、イエス・キリストの誕生へと相成りました。・・・そんなふうに一生懸命に言葉を尽くしてみても、本当の意味でクリスマスを表すことはできません。
クリスマスは、キリストという神の愛を私たちが存分に受けて、私たち自身も、さし出すことや誰かを迎え入れることに促される、その使命(ミッション)を覚えるときです。普通なら関わる義理はないと思える人や事柄が相手となることもあるかもしれません。しかし、神を信じるなら、全ての出会いを導いてくださるのは主であり、その人や事柄と「であったから」という理由以上に何か必要なことは、特にありません。
私は子どもの頃、親にも子ども時代があったということに気づいた瞬間の衝撃を、なぜか記憶しています。イエス様にも赤ちゃん時代、子ども時代がありました。なぜそんな姿でお越しになったのでしょうか。聖書の中で、いわゆる正典とされてきた書物の中には、イエス様の幼少時代のお話はありません。それでも、少しだけ想像をしてみたいと思います。貧しい両親のもとに生まれ、乳幼児期は難民であり、ローマ帝国の植民地ユダヤのナザレでお育ちになった大工の息子は、何を考えて生きたでしょう。福音書のイエス様の言葉は、その子ども時代の体験がもとになっているかもしれません。少しだけでも具体的に考えてみると、「神は我々と共におられる」とは、そこから言を発してくださるとは、なんと壮絶なことだろうかと驚きます。
イエス様の誕生物語における神の決心は、「この人と私は関係することはなかった」と言い放つ、人間世界の関係のあり方に対する神の抵抗であり、否です。